ちまたきのひとりごと

自分の生き方を探す旅

年齢は基準にされやすい、だから私は生きづらい。

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どうも、2022年に25歳になるちまたきです。

 

あと半年で25歳になる。

実感はなし。

そもそも、24歳であることすらまだ実感が湧いていなかったりする。

 

なぜなら、自分のこころとからだの年齢が大幅に違うと思っているから。

 

こころとからだの年齢はだいたい合っていると思う人はどのくらいいるだろう?

もし、だいたい合っていると思うのなら、きっと平均的な人の可能性が高いと思う。

 

基準はあくまでも基準であってほしい

年齢を基準にして考えることはよくある。

成長なんかは特にそう。

 

~歳なのにおむつがとれない

~歳なのにうまく会話ができない

~歳なのに泣き虫

 

母親に言わせれば、私はみんなができることができない子供だったそうで。

上の例は、全部私ができなかったこと。

 

でもこの歳になるとできるは、平均するとっていう話だよね?

だから、違う人だって必ずいる。

あくまでも基準なはず。

 

だって私も大きくなればできるようになったから。

病気ではないはず。

泣き虫は今も変わらずだけどね。

 

なのに、出来ることが当たり前みたいな世の中。

出来ないことが理解できない人が想像以上に多い。

だから、私はとっても生きづらい。

 

理解できないのは、悪気があるわけではない

私は今まで、理解できない人のことをひどいと思って生きてきた。

でも、そういう人たちは決して悪気があるわけではないんだと思う。

 

私のおばあちゃんは、エスカレーターがとても怖くて乗るのに時間がかかる。

タイミングを一生懸命合わせて、やっと乗ることができる。

おかげで後ろは長蛇の列。

おばあちゃんと一緒に出掛けて、見知らぬ人に怒られたこともあるくらい。

 

歩く延長でひょいっと乗るだけなのに。

手すりにつかまって乗っていれば良いだけなのに。

 

私は正直、今でも理解できない。

理解してあげようと話を聞いて努力したし、子供ながらに解決策を探してあげた。

 

でもダメだった。

なぜダメなのかはわからない。

だから、理解できないことなんだと思った。

 

自分が簡単にできて、相手が簡単にできないことは、努力しても理解することは出来ないのかもしれない。

 

 

理解してくれる人は、誰かはきっといる

私はこころとからだの年齢が多分追いついていない。

それはしっかり自覚してる。

周りに合わせようと必死で、毎日疲れる。

 

そういう人は、どうやって生きていけばいいんだろう?

バイトをしても、頑張って自分の特徴を説明しても、なかなか理解して貰えない。

だから続かなくてやめる。

 

親だって理解しようと頑張ってくれているけれど、それはきっと難しいことなんだと思う。

でも、理解してくれる人はきっといると信じてる。

 

私が平均的な成長から外れているなら、ほかにも同じような人はいるはず。

100人のうち90人が普通の人だったら、残りの5人はずば抜けた天才で、後の5人は私のような人かもしれない。

そんな人たちと生きていけば、気持ちが楽に生きれるかもしれない。

 

私はそんな人たちと出会えることを信じてる。

 

 

生きづらい世界は変わらないから、すみっこで生きる

世界は多数決でできている。

それはきっと間違いないのかもしれない。

 

生きやすいと感じる人が多ければ、それがある意味正しいことになって進んでいく。

きっと少数派である私が生きやすい世の中になったら、きっと世界からブーイングが起きるだろうね。

 

だから世界のすみっこに場所を借りて、同じ気持ちの人たちで集まって、生きづらい国を作りたいなあ。

 

さすがにこれは妄想だけど、生きづらい世の中を変えることは出来ないし望んでもいない。

自分が気楽に生きれる方法を探すこと、理解してくれる人を見つけること、これが25歳の目標になりそう。

 

基準から外れてると、基準に合わせようとして疲れる。

だから、生きづらいと感じてしまう。

 

今の私は何よりも、ありのままを受け入れる練習が大切だ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。